書道學會展
第62回書道學會展 審査員による今回の審査評を紹介いたします。
第62回 第六十二回書道學會展の審査に当たり 石橋鯉城
例年一月四日〜九日という正月明けに開催されて来た日本書道教育學會主催の書道學會展は、会場の東京都美術館改修工事のため、六十一回と六十回展の二回の展覧会に限って大阪市立美術館での開催となった。それ故三年振りの東京上野での開催となった。
〝百聞は一見に如かず〟と言われるが、美術家、書家たるものは、美術館、博物館での作品鑑賞の時を持つことが肝要である。美術の殿堂(公募展)と目され、我が国の書道、美術、工芸世界への登竜門としてその役割を百年以上に亘って果たして来た上野の都美術館開催の公募展への出品、あるいは其処での作品鑑賞は、美術の制作に従事し、日本の現代美術のあり様を問う我々にとって、現代美術の動向を察知し得る最高の場である。
上野には、他に東京国立博物館、国立西洋美術館(松方コレクション)、東京都立上野動物園、国際子ども図書館(旧上野図書館)、東京藝術大学、徳川家の菩提寺天台宗寛永寺もある。
我が国近代の芸術と文化の源泉は、この上野の地に発しているといっても過言ではない。上野を訪れ、日本の芸術と文化の歩みを身近に感じて戴きたい。
扨て、私達の62回書道學會展の開催は、毎年書道の伝統に立脚して而も現代の書道が如何に在るべきか、如何なる展開の姿を示すべきか、伝統の道は如何に継承されるべきかを、会場で如実に示さんと最善の努力をしている。
それは本展の部門だてにある。第一部 創作、第二部 古典作品の臨書、第三部 漢字造型、第四部 写経、第五部 篆刻としている。
本展では、更に他展に見られない未来指向を示している。消え行く手書文字、筆を使用しての表現の技術、そして〝真の美〟を凝縮、或は拡散表現する〝漢字造型〟(一字書、少字数書)の部門では、人間の呼吸、生命、人生、生涯を運筆に托しての書表現をここに求めている。また、永らく〝新和様〟と名付けて、書道の用美一体の書道観に立脚して、〝漢字かな交じり表現〟を現代の筆字表現の対象として取り込み、其処に手紙、日本人の誰もがそれで書き表している日本語表記を以て其れを筆字で現代の書道に仕立てるべく、独自の構想の下に、この部門を公募展にも定立した。この部門は、石橋犀水前会長によって新和様、つまり現代の和様の書、現代の日本の書と名付けられ、我が国の平安時代、空海、道風によって形成された和様書道にも匹敵する〝新和様〟運動として展開して来た。
二十一世紀に入って十数年を経、今や新和様の作品形式も既に定着して、公募展の要ともなるべきものとして、新和様は今や第一部 創作部門に組入れられている。
なお、芸術的方面の修業、作品の発表は子供の頃からの取り組みこそが肝腎との石橋犀水前会長、日本書道教育學會創設者の意思により、全日本学生書道展も同時開催している。
会場に足をお運び頂き、新年早々のこの時期に作品鑑賞の一時を過ごされ、出品者の才能努力に敬意を表して頂ければ幸いである。新春に当たり、書道の一層の展開を願っている。
役員審査評:石橋 智子
ようやく秋の冷気を思わせられる上野の杜に、前日の公募展の審査に引き続いて十一月二十三日、改修なった東京都美術館で三年ぶりの役員出品作の審査が行われました。
この書道學會展では特に無鑑査及び審査会員の方に対して、内閣総理大臣賞、中国大使賞、尾上柴舟賞、石橋犀水賞、旺文社社長賞、審査会員推挙が贈られています。
高い天井、広い床面積と、やっと本来の空間を取り戻した会場で落ち着いて作品を拝見することが出来ました。並べられた作品群は長年書と真剣に向き合った方達の精魂込めて仕上げられた作品で、迸り出る熱気に圧倒される思いでした。
特に池田龍仙氏のたてに流れる書線の強靭な精気は、全く息をのむすさまじさでした。
本年度、内閣総理大臣賞受賞の岡晴雲氏は、例年の細やかな書風とは異なる大胆な漢字造型の書に新しい活力の展開を拓かれました。赤井經忠氏の巧みな線の変化に見られる修錬の深さ、また門田光華氏の静かな内に漂う自然体の誠実で気品高い作、玉城芳岳氏の自由な線の織りなすおおらかな詩情、遠い沖縄の地にあって、後輩を立派に導きながら、自らも純粋に、創作に励む氏に改めて敬意を表します。
飯塚蓮芳氏、渡邉虚舟氏、中條琳音氏等の個々の素直な新和様の表現に、犀水先生の希った新和様の書がここに、このように展開された様に深い感動を覚えつつ一日を終えました。
役員審査評:尾上 兼英
十一月二十三日、新装となった東京都美術館地下三階には大作が数多く展示されていました。その中から数々の賞がえらばれます。
本年の尾上柴舟賞では、豪快な中にも細やかな配慮のされた漢字作品に軍配が上がりました。縦二×八の大字作品です。犀水先生の血脈が各門流に延々と続き、その結果このような立派な作品に結実したのでしょう。心から感嘆の意を表したいと思います。
役員審査評:小野寺 啓治
昨年の四月にリニューアルした東京都美術館は、外の入口にエスカレーターが設けられ、館内は明るくて、各展示室は壁が白くなり、高くて床には絨毯が敷かれて見易い。それで地下三階の審査室も期待して行くと、生コンの壁は一面白くなり、高い天井の所から作品が吊れるようになっていた。
これで長い大作は見易いし、ロープを低く張ってそこに吊って見た前とはだいぶ違う。
作品は四部屋に分けて飾られていて、奥の二部屋が審査員クラスである。手前の作から見て行くと、一作ずつがそれぞれ工夫をして表現方法は自由であり、型に統一されていない。漢字、かな、新和様、文字造型と違うのは当然だが、それぞれの分野で、つまり、漢字だけ、かなだけと分けても自由である。ここが學會展の大きな特色の一つである。それとこの会員のクラスは意欲がいろんな方面に出て、やり過ぎや控え目な遠慮もあって、ほほえましい。ここでの共通性は一生懸命に最後まで書き終えている。バランス感覚がさらに磨かれればと、たのもしく見える。
問題の審査員クラスは、どの作も一つの美的なリズムを持ち、表情は全員が一作一面貌で類似性がない。しかも堂々と雄々しく書き振る舞う池田龍仙氏の作は傑作の一つであろう。また、いつもの書風と違って斬新な試みを実践している作家が多い。こうなると、書くときの心境によって、書風がその人の創造力を自由に繰って楽しんでいるのが伝わってくる。こうした傾向は、漢字作品に多く表れ、それぞれの書体での形を自由に作り変えて妙味を見せる。新和様にもこの傾向は見られ、文字造型にもある。その点、かなと写経は流れや全体の統一感が優先して真面目さが強いようだ。 文字造型が参加して、書法を踏まえた創造領域は大きく広がってきた。この広がりが、他の分野にも波及しているのに好感を持つ。
第一会場:第一部:創作:小久保 嶺石
第六十二回書道學會展の鑑審査会は十一月二十二日(木)改装なった都美術館に於て行われた。九時三十分より、審査員一同打ち合せ会に入り、石橋鯉城審査委員長より、ご挨拶と鑑審査要領と審査方針が述べられ、その後各班に分かれて鑑審査が開始された。
第一会場第一部は、漢字(漢字造型を除く)、新和様、仮名(条幅・巻子・帖)の創作であり、審査基準にもある創意工夫、素材、それに伴う形式、そして表現力などに加え、よく錬磨されての総合的に完成された格調の高い作いうことを目して、厳正、且つ慎重に鑑査を進めていった。漢字作品は、漢詩文の多字数の作品が多く、たて形式の作は二行から三行書きが見られ、書体も行草書が多く、それに篆隷作品が加わるという程度であった。創作ということから創意工夫の見られる作を期待したが、行草作品は類似作品も多く、やゝ新鮮味に欠け、むしろ篆・隷作品に創意が窺えた。
仮名作品は出品点数も多く、指導者の熱意が感じ取れたが、条幅は配字、墨色など、類型作品も多く、それなりによく整った作ではあったが、漢字同様、新鮮味に欠けた。巻子、帖の作に細字ということと、料紙の吟味などもありよく錬れた作も見られた。
新和様は、形式も色とりどりで、墨色の変化、表現力などにも創意工夫の見られる作があり、出品者全体にレベルアップの感があった。 上位に推薦された作は、漢字は書体を問わず、仮名、新和様とも、創意工夫の見られる中に、何かきらめくものがあり、審査員の心をとらえた作であった。第一席の行草体による作は力強い運筆で、よく錬れた線に加え、若々しい新鮮味を感じとれる秀作であった。惜しくも選外となった作も、実力を持った作も見られたが、誤字・型式などで問題もあり残念であった。今後に期待したい
第一会場:第二部:臨書:赤井 經忠
改装成った東京都美術館に移り、出品者及び関係者にとっては気分も新たな記念すべき年の展覧会といえる。写経部門と共に臨書部として独立した部門は他展にはみられない書展として注目される。
日本と中国の古典の臨書。伝統派書展を継承発展させるべく臨書の重要性を痛感する。
展覧会となると、その年により選択する古典にも変動があり、流行もあるようだ。
仮名は平安の古筆が約半数を占める程で、繊細な力作が多く、関戸本、寸松庵、針切、香紙切など多数で、レベルの高さを感じた。
漢字では例年人気の菘翁の白玉井銘、左繍叙稿、鳴鶴の大久保公神道碑、津田永忠碑などは以外に少なく、中国では篆隷に始まり明清に至るまで平均的な出品数の感はあったが、特に数の上で多くみられたのは宋代の黄庭堅の黄州寒食詩巻跋文、松風詩巻。米芾の蜀素帖、苕溪詩巻が人気で、続いて漢隷の西狭頌と張遷碑が多数で、隷書の出品が多かったのも意外であった。王羲之の蘭亭叙、集客聖教序も依然多く、逆に例年より少なかったものとしては顔真卿の三稿など。あまりみられなかったものとしては、北魏楷書の鄭文公碑、石門銘、高貞碑、張猛龍碑、造像記などで、また晋唐の楷書なども少なく寂しい感がした。
臨書作品として古典の忠実な模倣は結構なことであり、古典の香りを感じさせないものは臨書とはいえないが、その筆意を汲み取って創作への足掛かりを感じさせるようなものが理想といえる。書作にとって優れた古典の臨書は書かせない大切な登竜門なのである。それを出発点として、現代性と個性豊かに表現し得た作品へと繋げることが重要なのである。今回展に限らず模倣のみに終始せず、生命感に溢れた作品をもっと数多くみたかったことが正直な感想である。受賞作品については用紙の選択、墨量、濃度などにも留意し、自己アピールしているところを窺い知ることができた。
第二会場:第一・二部:創作・臨書:伊藤泉鶴
第二会場第一・第二部の鑑審査は、五名でその任に当たりました。 第一部の創作では、楷書作品は見られず、篆・隷作品も数点で行草体が多数を占めました。多字数では手慣れた作品も多くありましたが、何箇所か草書のくずしや運筆に不自然なところがあり、誤字と見られることから上位を逸したのは惜しまれます。次回はこの点、特に注意してください。かなは、出品数が少なく、大字がなが殆どでした。作品は自然で安定していましたが、線の輝きで物足りなさがありました。新和様は、全体に出品者それぞれが題材を大事にされ、思いを込めた作品づくりをしていることは伝わってきました。その上で、さらに紙面構成を考える段階で、強調したい面、訴えたいところをよく整理され、表現効果をあげるように工夫と努力をされることを望みます。この点で、作品としての差がでてきました。
第二部の臨書では、六朝を中心とした碑版からの臨書は見られず、帖などからの行草体が主流で、中でも羲之や米芾からの臨書が多くありました。行草の臨書にあたっては、一字一字の読みとくずしや筆路をよく理解され、よく消化した上で作品づくりに入ることをお薦めします。枚数を書き込まれたと思われる中でも誤字が見受けられたのは残念です。そのためにも、制作過程で講習会などで、他人の目から見てもらうことが必要です。かなは、全体的に充実しておりレベルの高いものでした。上位の作品には、線に一段の錬度が見られました。写経は、全ての作品に真摯な取組みと一貫した浄書で、気魄が伝わってきました。
最後に、会場に出向かれ、展示された作品の数々を通して、墨の濃淡や潤渇から生じる多様な書線を、目習いされることをお薦めします。
第一・二会場:第三部:漢字造型:石橋鯉城
嘗て第三部と言えば、學會展では新和様の部であった。新和様(漢字かな交じり書)も始めは、なか〳〵大作、長條幅作品の制作が難しかった。新和様作品だけに限っての展覧会の不二現代書展では、半折の大きさから始めた記憶がある。今日のように、第一部の創作、第二部の臨書の部に匹敵する見応えある大作の出品を見る迄には相当な時間を要した。新和様作品についても展覧会で漢字や仮名に伍しての大作が並ぶようになったのは二十世紀の末のことで、二十一世紀に入って、漸く新和様も大成の期に至ったと言う経緯がある。今にして新和様作品はこれこそ真の創作作品だとして新和様は第一部へ移っての出品となっている。 漢字造型部門作品の大作化 今、漢字造型が同じ状況にあって日頃の不二一般版の出品では、月々六百点の出品があって、三割の二百点位は「天」の部に入る見事な作品が見られるようになっている。しかし公募展の規格最大寸法の四尺×四尺(一二〇センチ×一二〇センチ)の挑戦では、用具の一新と作品制作態度の大変換が必要となる。アトリエの確保、用具の扱いと選択の冒険も要求される。本当の処、羊毫筆の最上級の高価な筆でも、四尺×四尺の制作に必ずしも向くと限らない。私は近頃、戴き物の竹製と蔓の先を叩いて筆状にしたものを使い馴らして大作の制作に当たっている。竹筆、蔓の筆共に工合のよい使い心地を掴んでいる。第三部の作品制作は、工夫と書法研究の成果を打ち出し表現するのに最善の部門であろう。既に会誌での一応の成果を見ているので間もなく三部の出品者の増加も果せるだろう。
当日の審査状況さて、今回の審査は私の他、浅野秋月、石橋應和、林田香濤の計四名の担当で行った。第一会場、第二会場分合わせて五十一点の出品であった。作品が多くなかったのでゆっくり全体観を掴むように総覧して、次に四人が五点、三点、一点の札を掲げて、作品を一点〳〵判定して、元、享、利、貞の四段階の点数順の結果を出し、更に元の作品の中から入賞候補作品に入る作品を選定、次に落選作品として展示に向かない作品について吟味の上決定した。多数決の場合は、応々にして無難な作が高得点を取り、主張のある問題作が取り上げられない傾向なしとも言えず、この点は審査に当たる者の最も注意すべき処として心した。 受賞作の寸評 今年の漢字造型の部からは、九州の梶原康子氏出品の一字書「然」が推されて、この部門の最高賞の会長賞の受賞となった。「然」はモユの意で、肉と犬と火よりなる会意文字で、意味は「燃」である。終始一貫筆鋒紙面を圧し、真正面からの取り組みが作品に力を与えている。紙面に対するの気力に圧倒された。墨継ぎもなく一筆で仕上げた力量を大いに評価したい。また筆圧の変化に頼らずして書くダイナミックな表現として精一杯頑張っている。文字の左寄せで紙面右の余白が美事に利いている。 讀賣新聞社賞の長野の吉池射山氏の作品は、オットリと力まず筆に委せての運筆でよく拙を蔵している。雅印の位置も一つ間がアキすぎたくらいに茫洋としている。今少し造形的に、部分と部分が響き合う風情も入れて貰いたい。同じく讀賣新聞社賞受賞の澤田和雪氏も不二誌上での一字書部門に毎月出品、近頃メッキリ腕を上げて来た。「顕」を書き乍ら結体、線共によく締めて、細い線を重ねての構造美を発揮した。宇宙人が地球に手を差し延べている風景にも見える。顕「糸」車等に鄭文公碑の「楽」のような力と、リズム感がほしかった。
第一・二会場:第四部:写経:石橋鯉城
第四部も、第三部の審査に引き続いての審査が行われた。この部の審査も前記の四名の審査員が当った。 第四部の第一会場の出品作品は、毎年見る人を圧倒する努力の跡と緻密な字配り、用紙の界線引き、一字もオロソカにすることなく、誤字、脱字もないこの大作を如何にして為すのだろうかと、審査員も驚きの声を上げての審査でもあった。第一会場の入賞作では、それでも写経の見方、用筆鍛錬、墨の扱い上の工夫、筆の選択等につき詳細に拝見すればテーマの選択、表現技術、表現形式に於てそれぞれに幾分かの差が見られるので、是非会場にて見較べてその差が何によるものか、確かめて頂きたい。形だけを追っての「書写物」に堕していたのでは写経の伝統、日本書法の書線に生命感を求める世界には到達し得ないのではなかろうか。
今年の入賞者の松本多恵子氏は、轉輪聖王経を浄書しての作品を仕上げられているが、写字に当っては原帖の筆蹟をよく観察してその運筆の抑揚を把えて筆鋒八面出鋒し、小筆の鋒の弾力のもつ表現力の機微を知って書している。故に強い線、冴えのある書線を以って書き上げた。筆力紙背に透過して群を抜いた写経として第一席文部科学大臣賞に相応しい作として推された。文字収斂し、紙面に深く突き刺さるの筆法は写経中近来稀に見る快作と言えよう。これからは更に後進にもこの写経術の伝授をお願いしたい。 第二席の法隆寺管長賞は妙法蓮華経化城喩品第七の浄書作品紫紙に金泥で克明に書き込んだ金澤紀絵子氏の長條幅作品である。墨での浄書にも増して金泥での作品づくりに数倍以上の神経も使い、工芸的な仕上がりを上とするが、一絲乱れず見事に書かれている。終わりの七行の偈文に至るも字間、文字の形にも乱れを見せず淡々と続けて行く心境には只々頭の下がる思いである。最後の行の応用の部分に至っても氏名迄しっかりと書き上げている。古人が紫紙金泥、紺紙銀泥に書き残して呉れた写経への想いを新たにさせる作だ。 次に第三席の妙法蓮華経法師品第十を浄書した中村紫泉氏の作品だが、第一席の松本氏の作品と較べると少しく大ぶりな細字で浄書されている。形式的にも見事にまとめ上げている。先ずこの努力に敬意を表したい。なお、一点一画気を抜く事なく確かに書き込まれていて正確さでは人後に落ちないが、錬達の技に達するには今一つの努力が望まれる。本文浄書と同時に落款部分の仕上げの処が、本文部分に負けているように思われる。更なる精進を期待したい。 写経部門の健在ぶりを再確認できた審査であった
第一・二会場:第四部:篆刻:内山玉延
昨年に比して出品点数は増加したが、まだまだ少ない現状の打破が喫緊の課題である。 総覧してまず感じたことは篆刻三法の確実な掌握に難のあるものが目に付いた。 その一つ字法は、一冊の辞書に拠り過ぎているものが散見される。字義を踏まえ、何冊かの辞書にあたることで文字の安定を生む。そして筆でそれを書いてみる。そうすることで筆意を加味した刀法に繋がる。
また基本となる小篆に程遠い、あまり一般的でない書体を取り入れたが故に奇矯に走り過ぎてしまったものも。変化を求めるが為に文字考証が不確実になってしまうものは結果、安定感に欠ける。 刀法についても印影から透けて見える、明らかに浅すぎるものは文字に重厚さが反映されない。名家の刻印は総じて深い。 それら字法、刀法を消化し、印面全体のまとめが章法となる。何よりそれらを紙面に反映させる鈐印に難があってはせっかくの力量は伝わらない。印箋も表面がきちんとつぶれたものを使用してほしい。大印の場合は印泥をつけた印面を上にし、その上に印箋を乗せバレンで圧着させることも可。
印箋全体を引き締め、なお且つ一枚の作品とする上で大切なのが、落款。これも難のあるものが。紙面の空間配分、文字の大きさ等々にも心を配りたい。 「方寸の宇宙」篆刻の魅力は小さいが故に無限である。そして白い紙面に赤の印影、黒い墨の落款。この白、赤、黒の織りなす世界の可能性に更なる挑戦を挑みたいものである。