地域伝統文化総合活性化事業
文化庁推進 鳴鶴の書碑研究事業がスタート!
文化庁事業への参画決定
東京・小笠原諸島の父島に建つ
「開拓小笠原島之碑」(抜粋)
拓本の形にすることで
強靭な書を広く永く伝えることができる
日本書道教育学会は、2010年、文化庁が推進する「地域伝統文化総合活性化事業」に参画し、「日下部鳴鶴の書道精神に学び、書道教育の普及を目指す各種事業」をスタートさせました。
「地域伝統文化総合活性化事業」は、地域に伝わる伝統文化の活性化や復興等のため、各地域の主体的、総合的な取組を支援することにより、有形・無形の歴史的な文化遺産を活かしたまちづくりや伝統文化の確実な継承と地域の活性化に資することを目的に実施されている政府による補助事業です。本会の石橋鯉城会長が数年来進めている日下部鳴鶴の研究事業が、ここで採択されました。
このたびの事業では、「明治の三筆」「日本近代書道の祖」と呼ばれ、書家、史官、そして教育者としても名高い日下部鳴鶴の碑書の揮毫に着目。鳴鶴が各地に残した碑を調査・研究し保存することで、幕末から明治にかけての歴史の動きを考察して碑文に記録された彦根藩士日下部東作(鳴鶴)等の思想を読み解き、整理して、その歴史的価値を後世に伝えます。
また、日下部鳴鶴の書碑を調査・研究することにより、これまで知られてこなかった地域の伝統文化、記念芸術としての「書碑」の存在意義を明らかにして、書道および歴史の両面から光を当てて、地域の文化活動の活性化を図ります。
更に、研究・調査の成果である拓本の臨書会や拓本展を開催することにより、身近な伝統としての文字文化に、より親しみを持つ機会を提供して、書道人口の拡大および正しい技術の習得・伝達による指導者の育成を目指します。
鳴鶴揮毫碑研究の意義
東京・青山霊園大久保利通公墓前にある
大久保公神道碑の燈籠題字「崇烈」
今日、日本の書道が中国の書法とは異なる文字芸術として確立したのは、仮名書道の存在によるのは勿論ですが、我が国近代書道の礎を築いた日下部鳴鶴に負う処も、また大きいといえます。
鳴鶴は20代まで彦根藩士、30代から11年間は明治維新政府の高級官僚、それ以降は書家という特異な生涯を歩みました。こうした激動の時代の中で、彼は生涯に千余の墓碑、墓銘、刻石を残しています。その書は、王羲之から顔真卿に至る中国書法の大成ともいうべきもので、膨大かつ緻密です。彼の筆法は筆使いの極意ともいわれる廻腕執筆法に依っています。
顔真卿よりも大きな碑を、また夥しい数の碑書を残し、日本の明治の気概を千古に伝えようとした鳴鶴は、彼の畢生の仕事として書道に携わり、日本の楷書を創成したのです。
しかし、前回昭和48年の鳴鶴揮毫碑についての調査資料を見ると拓本が残されていない碑書も多く、その偉大な足跡の全容が今日充分に知られているとはいえません。このたびの事業では、良好な条件の下で採拓を行い、その拓本を公開することにより、彼の強靭な気骨と高潔な品格を備えた王道の書法を広く世に伝えたいと思います。
また、鳴鶴の墓所が井伊家の菩提寺東京豪徳寺にあるという事実は、彼が最後まで彦根藩士として生き、それが井伊家に受け容れられた証拠でもあり、彼が日本最後の武士としての生涯を終えた事を物語るものです。今回の碑文を採拓、研究、その成果による地域活性化活動により、「近代書道の祖」としての姿だけではなく、江戸から明治、大正にかけて85歳の生涯を全うした「彦根藩士日下部東作」「日本の史官」としての生き方の見事さについても再認識の好機となるでしょう。
「日下部鳴鶴の書道精神に学び、書道教育の普及を目指す各種事業」については、事業の進展に合わせてこちらで情報をお届けいたします。